Nov 10, 2010

FX取引での活用は、両頭の剣のようなところです

FXは担保となる手元の資金(取引保証金)にレバレッジ(てこの原理)をかけてください。あなたの資金よりも多い金額を移動して、外貨取引することができます。 "Ieverage(手段)"の"Iever"は、"てこ"として、レバレッジを調整し、リスクとリターンをコントロールすることができます。手段をかけることで利益が大きくなることもあり、損失が大きくなることがあります。 FX取引での活用は、両頭の剣のようなところです。
手形割引のもう一つの形というのは、手形の貸付け金のことです。お金を借りたい人が自分の会社の手形を担保に金融機関から融資してもらう形なんですよ。これは、借入であり、手形を担保にする事になったよ。手形割引は、最近、メーカーが増加しており、サービス競争が盛んです。高い金利とスピード換金が私たちなんですよ。
 今年20回を迎え、8日間に拡充された「柳井金魚ちょうちん祭り」のフィナーレを飾る金魚ねぶたの引き回しが13日夜、市内のメーンストリート、麗都路(れとろ)通りであり、12基の巨大金魚ねぶたが明かりを放ち、勇壮に引き回された。
 午後4時半、白壁通りや麗都路通りが歩行者天国になり、沿道は大勢の見物客で熱気に満ちあふれた。通りや軒先を飾る約2000個の金魚ちょうちんがともり、金魚ねぶたがメーン会場で1基ずつ「らっせーら、らっせーら」の掛け声に合わせ、弧を描くように引き回されると、歓声がわき、祭りは最高潮に達した。
 期間中、1日だけの開催だった昨年の約7万5000人を上回る約12万人でにぎわった。【小中真樹雄】
〔山口東版〕

8月14日朝刊

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 <総合的な窓口>
 ◇府支援対策総合相談窓口
 電話075・414・5930(午前9時〜午後6時)
 ◇京都市震災支援総合案内コールセンター
 電話0120・776797(午前8時〜午後9時)
 <被災者からの相談>
 ◇震災 こどもの心 相談電話(京都市教育相談総合センター)
 電話0120・123・817(平日午前10時〜午後7時)…被災児童生徒や保護者対象の心理的ケア
 ◇ふれあい・すこやかテレフォン(府総合教育センター)
 電話075・612・3268または3301(24時間)…被災児童生徒や保護者対象の教育相談
 ◇子育て・女性健康支援コール(府助産師会)
 電話080・6117・0311(平日午前9時〜午後5時)…妊娠・出産や育児、女性の健康について
 ◇電話無料法律相談(京都弁護士会)
 電話0120・80・8585(祝日除く午後1時〜3時半)
 <ボランティア希望者>
 ◇京都災害ボランティア支援センター
 電話075・741・6001(水曜を除く午前11時〜午後8時)

8月14日朝刊

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 ◇津波被害、復興描く
 東日本大震災からの復興を願い、04年のスマトラ沖地震で津波被害を受けたスリランカの子どもたちが描いた絵を集めた企画展が、京都市北区の立命館大国際平和ミュージアムで開かれている。企画した同大学2年、香山侑美さん(19)は「子どもたちの絵を通じ、被災地へみんなひとりじゃないんだよというメッセージを届けられたら」と話す。
 立命館大と国学院大の学生でつくる学生団体「Happy Factory」の主催。同会は日本とスリランカの子どもたちの交流を目指し今年3月に設立された。震災発生を受け、知り合いのスリランカの小学校の先生などに「絵で被災地へエールを送りませんか」と呼びかけたところ、7〜16歳の子どもが書いた約60点の作品が届いた。
 絵を書いたのは大津波で親や自宅をなくした子どもたちで、スリランカの復興の様子などを描いた。絵には「津波の影響から救ってほしい。貴方の国が復興するように」など子どもたちから被災地へのメッセージも添えられている。
 作品の一部は既に福島県や宮城県の避難所へ贈られており、今回の企画展には約20点を展示した。企画展は31日まで。問い合わせは同会のメール(happyfactory.since2011@gmail.com)。または同ミュージアム(075・465・8151)。【堀智行】

8月14日朝刊

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 ◇街で宣伝に奔走、逮捕も 「多くの人に見てもらわねば」
 東京の陸軍経理学校で終戦を迎えた小畑哲雄さん(84)=八幡市=は1945年、故郷の熊本県に帰った。友人らも陸軍の特別幹部候補生、特攻機の要員、軍需工場での労働……、さまざまな戦争体験を抱えて郷里に戻った。
 多くの話を聞いたが、中でも中学の後輩の被爆体験は衝撃的だった。終戦翌年、小畑さんは、旧制第五高校(後の熊本大学)に入学。実家の網津村(現・宇土市)から汽車通学していた。3歳年下のその後輩は、先の駅から乗っており、小畑さんが汽車に乗ると、毎回のように被爆体験を語っていた。
 後輩は広島の陸軍幼年学校の生徒として終戦を迎えた。45年8月6日、後輩は原爆の爆風で飛んできた毛布に体を包まれ、幸い軽いやけどで済んだという。しかし街に飛び出すと、自分がいるところは「地獄かと思った」。人々はぼろ切れのような皮膚をぶら下げた腕を上げ、歩き回っていた−−。
 まだ原爆の実態が分からなかった、終戦直後。ぎゅうぎゅう詰めの車内でも、後輩の言葉は小畑さんには鮮明に届き、強い衝撃を受けた。
    ◇
 京都大へ入学した51年、先輩らは学内での原爆展を既に実施していた。熊本時代から学内の自治活動に奔走した経験がある小畑さんは、学生自治会にあたる京大同学会のメンバーとなった。
 会全体が綜合(そうごう)原爆展の準備に取り組む中、小畑さんも自然に関わることとなったが、まるで「猛スピードで走る汽車に飛び乗った」ように感じた。後輩の生々しい話も聞き、自分なりに原爆を知っているような気持ちでいたが、綜合原爆展に関わる人たちの情熱も知識も、その勢いは自分を圧倒するほどだった。
 熊本での自治活動に奔走した経験があり、宣伝に慣れていた小畑さんは、ポスター4000枚、小型のステッカー1万2000枚を張って、綜合原爆展を懸命に宣伝した。
 開幕した綜合原爆展は熱気にあふれていた。そこに立つと後輩の話を思い出した。いても立ってもいられない。「多くの人に見てもらわないと」と街に飛び出した。しかし、滋賀県では、宣伝で通行人の足を止めたことを道路交通法違反として、現行犯逮捕された。釈放された時には綜合原爆展は終わっていた。
    ◇
 その後も妨害や弾圧を受けながらも、小規模な原爆展を続けた。「戦争体験がある私たちは、戦争で死ぬことと比べたら怖いものはなかったから」
 65歳まで大阪府で国語教師を務めていた間も、学校や大阪私学教職員組合で平和への思いを伝えてきた。95年には綜合原爆展を振り返る「占領下の『原爆展』 平和を追い求めた青春」(かもがわ出版)を執筆、出版した。
 小畑さんは、戦時中「日本は神風に守られて負けへん」と信じ込まされていた社会と今が、重なる。「原発が爆発しても政府は『安全』だと伝える。戦争から60年以上たっても繰り返されている」
 「思春期に敗戦を迎えた自分と同じ年代が戦争を伝えられる最後」。戦争を繰り返さないよう、反戦への思いを伝え続ける。【成田有佳】=つづく

8月14日朝刊

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