Mar 29, 2009

疣贅を除去手術

友達がカマキリを手術で除去していた。手術自体は非常に簡単には表面に点があって気になって、女性など、利用者が多いようです。しかし、ほくろというのは変なのが、一度に削除しても時間が経過すると同じ場所にできちゃうこともあるという。今友人にその気配はないが、紫外線などにも影響を受けるようなので仕方ないのかジラゴ思う。
女性の大敵、シミ、そばかすなどのよく知られています。私もシミそばかすに悩んでいる人です。幼い頃からそばかすが本当に悩んだ時期がありました。大人になって何とか化粧でカバーしています。最近は歳のせいか、シミも増えているように感じます。あまりにも濃い化粧になってしまうのもどうかと思う。克服するために、美白用品、毎日努力しています。
 東日本大震災から1カ月以上経過した後に、福島第1原子力発電力の事故を国際原子力事象評価尺度(INES)で最も深刻な「レベル7」に引き上げた政府の対処方針に疑念が生じている。枝野幸男官房長官は13日の記者会見で、先月下旬には「レベル7」の可能性を認識していたと説明。13日にはほかにも政府の“お粗末な”対応が次々と明らかになり、事態収束どころか「日本不信」を増幅させる事態になっている。

 「報告は受けていた」。枝野氏は記者会見で、原子力安全委員会から3月23時点で今回の原発事故について「レベル7の可能性がある」と報告を受けていたことを明らかにした。半月以上も事態を放置したことになるが、枝野氏は「不確かなことを政府見解として報告していいかどうかの問題もある」と釈明。

 ただ、今回のレベル引き上げは3月15日ごろの放射性物質量が根拠。現在は1万分の1に減っている。事故発生から1カ月後の「追認」は、国際社会に「現在もチェルノブイリ事故と同じ状態」との印象を与えかねない事態を招いている。

 ◆放出後に「予定」通知

 13日の衆院外務委員会では、東電による低濃度放射能汚染水の海への放出について、外務省が各国の在京大使館への通知をすべて終えたのが「放出後」だったことが明らかになった。

 外務省は4日午後4時の外交団への説明で東電の放出方針を報告したが、出席したのは東京に大使館を置く149カ国中51カ国。東電はその後、7時すぎの放出開始を発表し、7時3分に放出を始めたが、外務省が各国大使館に「緊急」と題してファクスやメールを送り始めたのは7時5分。文面は「今夜遅く行われる予定」としたままだった。

 松本剛明外相は事実を認めて釈明したが、こうしたちぐはぐな対応が韓国首相の「日本は無能」発言につながった側面は否めない。

 ◆感謝広告は7紙のみ

 菅直人首相名で11日付の外国紙に掲載した「感謝広告」にも批判が出ている。掲載したのは、国際英字紙インターナショナル・ヘラルド・トリビューンと米英仏中韓露の1紙ずつの計7紙。ドイツやイタリア、台湾、インドなど震災への支援を表明した134カ国・地域の大半に広告を掲載することができていない。

 ネックになっているのは広告予算。松本氏は衆院外務委で「復興にお金を振り向ける中で、ギリギリの範囲で予算の枠を設けた」と述べた。だが、広告の掲載がなかった在外公館からは「『日本に感謝されていない』との誤ったメッセージを与える」との不満が漏れている。

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 【ワシントン=柿内公輔】米原子力規制委員会(NRC)のヤツコ委員長は12日、米上院環境公共事業委員会で証言し、福島第1原発の現状について、「日々の大きな変化はみられないが、まだ安定するには至っていない」との見解を示した。

 ヤツコ委員長は、冷却機能の確保が引き続き重要と指摘したうえで、国際原子力事象評価尺度(INES)が最悪の「レベル7」に引き上げられたことについて、「驚きはない。非常に深刻な事故であることは明らかだ」と述べ、適切な変更との認識を示した。

 また、米国務省のトナー副報道官代行も12日の会見で、「レベル7」への引き上げは「適切」と指摘。さらに、「半径80キロ以内の米国人に避難するよう勧告することに変わりはない」として、現状の退避勧告を維持する方針を明らかにした。

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 ■「フレー、フレー!」 子供たちはくじけない、優しい心はなくならない。

 東日本大震災の津波で校舎1階がのみこまれながら、いまだに2、3階や体育館が避難所となっている宮城県石巻市立渡波(わたのは)小学校で13日、子供たちが待ちに待った登校日があった。久しぶりの友達との再会に笑顔を見せたが、友達や先生との悲しい別れもあった。

 《4月13日 久しぶりに友達に会えた。でも転校だなんて…》

 「心配してたんだぞ」。4年2組だった亮哉君(10)は、震災以来、連絡が取れなかった春稀君(10)を校庭で見つけると、肩を組んで笑顔をはじけさせた。震災後、3月24日に修了式があったが、出席できない子も多かった。

 「俊ちゃん転校するんだって」「えー」。3年1組だった尚希君(9)は俊介君(9)の転校を知り、思わず声を上げた。自宅を津波で流され、転居する被災者も多い。

 「フレー、フレー、俊ちゃん」。運動会の応援を思い出し、目を赤くしながら精いっぱいの別れを告げた。「俊ちゃんに会いに自転車で絶対行くから。どんなに遠くても行くから」

 別れは友達だけじゃない。先生たちの離任式もあった。渡波小を去るのは先生24人のうち10人。教室は避難所になっているため、校庭でお別れの会をした。

 「まだまだ大変なことがあると思いますが、自分の可能性を信じてください」。5年1組の担任だった千葉優樹先生(29)はこうあいさつした。渡波小にいたのは半年と短い。それでも忘れることができない光景がある。

 《3月11日 真っ暗闇で子供たちの優しさを知った》

 津波から避難してきた子供や近所の人たちでごった返した体育館に5歳の男の子が迷い込んできた。薄着にはだしでブルブル震えている。「大丈夫?」「心配ないからね」。停電で真っ暗になる中、5年生たちがその子の手を握りしめ、かわるがわる励まし続けた。

 自分たちが恐怖で締め付けられているはずなのに。「この子たちがいれば大丈夫」。そう思えた。男の子の母親は見つかった。

 《4月13日 「また会おうね」って約束した》

 3年1組の担任だった伊藤純先生(53)も6年間勤めた渡波小を去ることになった。子供たちが駆け寄り、先生を取り囲んだ。「地震でたくさんいろいろなものを失いました。大切な人、おうち、思い出の品…」。伊藤先生は笑顔でこうしめくくった。「でも渡波小の子供たちの優しい心とがんばる心はなくなりません。また皆に会いたい。また会いましょう」

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